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わたしたちの信仰 | わたしたちの立場 | わたしたちの伝道 | |||||||||||||||
わたしたちの望み | わたしたちの交わり | |||||||||||||||||
わたしたちの信仰 | ||||||||||||||||||
わたしたちは、聖書は一語一語が聖霊によって息吹かれた神の完全な啓示であることを信じます。わたしたちは、神は唯一であり、永遠から永遠に至るまで同時同存される三一の神(父、子、その霊)であることを信じます。わたしたちは、神の御子、すなわち神ご自身が、わたしたちの贖い主、また救い主となられるため、処女マリヤから生まれ、イエスという名によってひとりの人となられたことを信じます。 わたしたちは、真正な人、イエスがこの地上で三十三年半の間、生活されたこと、それは人々に父なる神を知らせるためであったことを信じます。 わたしたちは、イエス、すなわち神によってその霊で油塗られたキリストが、わたしたちのもろもろの罪のために十字架の上で死なれ、わたしたちの贖いの成就のために彼の血を流されたことを信じます。わたしたちは、イエス・キリストが三日間葬られていた後、死人の中から肉体的にも霊的にも復活されたこと、そして復活の中で彼は命を与える霊となられたこと、それはわたしたちの命、またわたしたちのすべてとして、わたしたちの中へとご自身を分与し込むためであることを信じます。 わたしたちは、キリストが復活の後、もろもろの天に昇られたこと、そうして神は彼を万物の主とされたことを信じます。わたしたちは、キリストが昇天の後、神のその霊を注ぎ出し、彼の選ばれたもろもろの肢体を一つからだの中へとバプテスマし込まれたこと、神の霊はキリストのその霊でもあって、この地上で今は罪人たちに罪を認めさせ、神の選びの民を再生し、キリストのもろもろの肢体の中に住まわれて、彼らを命の中で成長させ、キリストのからだを建て上げて、神の全き表現とするために活動しておられることを信じます。 わたしたちは、この時代の終わりにキリストが再び戻って来られて、彼のもろもろの肢体を携え上げ、この世を裁き、地を所有し、そして彼の永遠の王国を打ち建てられることを信じます。わたしたちは、勝利を得た聖徒たちがキリストと共に千年王国で支配すること、またキリストを信じるすべての者が新天新地の新エルサレムで、永遠にわたって神の祝福にあずかることを信じます。 |
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わたしたちの立場 | ||||||||||||||||||
わたしたちは、伝統的な解釈にもよらず、純粋な神の言葉によって聖書の上に立ちます。 |
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わたしたちの伝道 | ||||||||||||||||||
わたしたちは、罪人たちが救われるために、恵みの福音と王国の福音(マタイによる福音書第4章23節、9章35節、24章14節、28章19−20節)とを宣べ伝えます。わたしたちは、信者たちがキリストの中で成長するように、命を供給する務めを行ないます。わたしたちは、それぞれの都市に教会を建造します。それは信者たちが実際的に地方におけるキリストの団体的表現となるためです。わたしたちは、聖書から神の生きた豊かな言葉を解き放ちます。それは信者たちが養われて成長し、成熟するためです。わたしたちは、キリストのからだを建造します。それは花嫁が花婿なるキリストの戻って来られる準備をするためです。 |
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わたしたちの望み | ||||||||||||||||||
わたしたちは、神によって永遠の命へと定められているすべての者が主イエスを信じるに至ることを望みます。わたしたちは、すべての再生されたクリスチャンが単に知識を増やすのではなく、命の成長を求めることを望みます。わたしたちは、すべての追い求めるクリスチャンが教会のビジョンを見、彼らのいる地方で実際的な教会生活に入ってくることを望みます。私たちは主が、彼の花嫁を準備されるように残された勝利者の一団を得られることを望みます。わたしたちは、主の再来が私たちの命の成長によって早められ、わたしたちが幸いな携え上げと来るべき王国とにあずかることを望みます。 |
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わたしたちの交わり | ||||||||||||||||||
使徒行伝第2章42節「そして、彼らはひたすら使徒たちの教えと交わりを持ち続け、パンをさくことと、祈りを持ち続けた。」使徒たちの交わりはまた、「御父との、また御子イエスとの交わり」とも呼ばれています。「交わり」のギリシャ語訳は、「共にあずかること」、「共同であずかること」を意味します。その意味で、わたしたちはキリストにあるすべての信徒を受け入れます。その人がどんな見解を持っていようとも、救われている信徒であれば喜んで交わりを持ちます。 ただ除かれねばならない罪を犯している者だけは受け入れるわけにはいきません。その一種類はコリント人への第一の手紙第5章に言っている幾種類かの大変汚れた、主の名を辱める罪を犯し続けている者です。もう一種類はヨハネ第二の手紙で言っているキリストの教えを踏み越えている異端者です。それはキリストは神ではない、肉体をとってこられたのではない、彼の死はわたしたちの罪を担ったのではない、彼はわたしたちを贖うことができない、彼は死んで復活しなかったと言っていることです。このような異端は今日で言う「新神学」(Modernism)、反キリスト「不信派」の信仰です。これらは極めて邪悪な罪です。キリストの教えの中にとどまらない者は、神を持っていません。 |
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