「川口に在る教会」は純粋に聖書の規範に従い分派、教派、組織、伝統を嫌うクリスチャン達が、地元にあって一である立場で集会しています。兄弟姉妹と呼び合っています。
 
私たちの信仰:わたしたちは、聖書は一語一語が聖霊によって息吹かれた神の完全な啓示であることを信じます。わたしたちは、神は唯一であり、永遠から永遠に至るまで同時同存される三一の神(父、子、その霊)であることを信じます。わたしたちは、神の御子、すなわち神ご自身が、わたしたちの贖い主、また救い主となられるため、処女マリヤから生まれ、イエスという名によってひとりの人となられたことを信じます。
 
聖書はすべて神の息吹かれたものです。毎巻が神の啓示で、一つ一つの字、一つ一つの句、みな聖霊の感動によるもので、その正確さは絶対的です。聖書の効用は、(一)主イエスについて証しし、(二)人を賢くし、救いへと至らせ、そして人を再生させる種となり、(三)信者たちの霊の乳、命の食物で、(四)神の人を完全な者とします。
 
使徒行伝第2章42節「そして、彼らはひたすら使徒たちの教えと交わりを持ち続け、パンをさくことと、祈りを持ち続けた。」使徒たちの交わりはまた、「御父との、また御子イエスとの交わり」とも呼ばれています。
 
神聖な啓示の先見者ウォッチマン・ニー兄弟:ウォッチマン・ニー兄弟は中国で生まれ、大学生の時から自分を徹底的に主にささげ、この時代の執事として神の言葉をもたらすために大いに用いられた神のしもべです。神聖な啓示の伝承者ウィットネス・リー兄弟:ウィットネス・リー兄弟は、主が今の時代に教会に与えられた、神聖な啓示の伝承者でした。リー兄弟は、1925年から1927年までニー兄弟の著書である「クリスチャン誌」から多大な助けを得、その後、ニー兄弟と文通するようになり、1932年からは直接ニー兄弟の下で指導を受けるようになり、そして最も親密な同労者となりました。
 
わたしたちは祈り、賛美し、証しをし、御言葉を供給します。主日ごとにわたしたちは主の食卓を持ちますが、そこではすべての主の子供たちが歓迎され、一緒にパンと杯にあずかります。教会の諸集会は公開でありすべての信徒が自由に参加できます。
 
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神聖な真理に触れるために、日本福音書房から出版されている本をご覧いただけたらすばらしいと思います。また、e-Mamma Japanのホームページでは、主イエス・キリストを愛するすべてのクリスチャンに、霊の糧を毎日無料で提供します。御言が開けると光を放ち、わしのように翼を張って昇ることができます。命の養いに満ちています。
わたしたちの信仰 わたしたちの立場 わたしたちの伝道
わたしたちの望み わたしたちの交わり
わたしたちの信仰
 わたしたちは、聖書は一語一語が聖霊によって息吹かれた神の完全な啓示であることを信じます。わたしたちは、神は唯一であり、永遠から永遠に至るまで同時同存される三一の神(父、子、その霊)であることを信じます。わたしたちは、神の御子、すなわち神ご自身が、わたしたちの贖い主、また救い主となられるため、処女マリヤから生まれ、イエスという名によってひとりの人となられたことを信じます。
 わたしたちは、真正な人、イエスがこの地上で三十三年半の間、生活されたこと、それは人々に父なる神を知らせるためであったことを信じます。
 わたしたちは、イエス、すなわち神によってその霊で油塗られたキリストが、わたしたちのもろもろの罪のために十字架の上で死なれ、わたしたちの贖いの成就のために彼の血を流されたことを信じます。わたしたちは、イエス・キリストが三日間葬られていた後、死人の中から肉体的にも霊的にも復活されたこと、そして復活の中で彼は命を与える霊となられたこと、それはわたしたちの命、またわたしたちのすべてとして、わたしたちの中へとご自身を分与し込むためであることを信じます。
 わたしたちは、キリストが復活の後、もろもろの天に昇られたこと、そうして神は彼を万物の主とされたことを信じます。わたしたちは、キリストが昇天の後、神のその霊を注ぎ出し、彼の選ばれたもろもろの肢体を一つからだの中へとバプテスマし込まれたこと、神の霊はキリストのその霊でもあって、この地上で今は罪人たちに罪を認めさせ、神の選びの民を再生し、キリストのもろもろの肢体の中に住まわれて、彼らを命の中で成長させ、キリストのからだを建て上げて、神の全き表現とするために活動しておられることを信じます。
 わたしたちは、この時代の終わりにキリストが再び戻って来られて、彼のもろもろの肢体を携え上げ、この世を裁き、地を所有し、そして彼の永遠の王国を打ち建てられることを信じます。わたしたちは、勝利を得た聖徒たちがキリストと共に千年王国で支配すること、またキリストを信じるすべての者が新天新地の新エルサレムで、永遠にわたって神の祝福にあずかることを信じます。
わたしたちの立場

 たしたちは、伝統的な解釈にもよらず、純粋な神の言葉によって聖書の上に立ちます。
 わたしたちは、生ける岩、礎の石、からだのかしら、そして教会の命と実際であるキリストの上に立ちます。わたしたちは、分派ではなく、宗派でもなく、フリーグループでさえもなく、また超教派でもなく、キリストのからだの真正な一の上に立ちます。わたしたちは、それぞれの地方におけるすべての信者たちは一つであるという立場に立ちます。それは血によって贖われ、その霊の再生を受けたキリストにある信者たちは、すべてそれぞれの都市における一つの地方教会の肢体であると認めます。

わたしたちの伝道
 わたしたちは、罪人たちが救われるために、恵みの福音と王国の福音(マタイによる福音書第4章23節、9章35節、24章14節、28章19−20節)とを宣べ伝えます。わたしたちは、信者たちがキリストの中で成長するように、命を供給する務めを行ないます。わたしたちは、それぞれの都市に教会を建造します。それは信者たちが実際的に地方におけるキリストの団体的表現となるためです。わたしたちは、聖書から神の生きた豊かな言葉を解き放ちます。それは信者たちが養われて成長し、成熟するためです。わたしたちは、キリストのからだを建造します。それは花嫁が花婿なるキリストの戻って来られる準備をするためです。
わたしたちの望み

 わたしたちは、神によって永遠の命へと定められているすべての者が主イエスを信じるに至ることを望みます。わたしたちは、すべての再生されたクリスチャンが単に知識を増やすのではなく、命の成長を求めることを望みます。わたしたちは、すべての追い求めるクリスチャンが教会のビジョンを見、彼らのいる地方で実際的な教会生活に入ってくることを望みます。私たちは主が、彼の花嫁を準備されるように残された勝利者の一団を得られることを望みます。わたしたちは、主の再来が私たちの命の成長によって早められ、わたしたちが幸いな携え上げと来るべき王国とにあずかることを望みます。

わたしたちの交わり
 使徒行伝第2章42節「そして、彼らはひたすら使徒たちの教えと交わりを持ち続け、パンをさくことと、祈りを持ち続けた。」使徒たちの交わりはまた、「御父との、また御子イエスとの交わり」とも呼ばれています。「交わり」のギリシャ語訳は、「共にあずかること」、「共同であずかること」を意味します。その意味で、わたしたちはキリストにあるすべての信徒を受け入れます。その人がどんな見解を持っていようとも、救われている信徒であれば喜んで交わりを持ちます。
 ただ除かれねばならない罪を犯している者だけは受け入れるわけにはいきません。その一種類はコリント人への第一の手紙第5章に言っている幾種類かの大変汚れた、主の名を辱める罪を犯し続けている者です。もう一種類はヨハネ第二の手紙で言っているキリストの教えを踏み越えている異端者です。それはキリストは神ではない、肉体をとってこられたのではない、彼の死はわたしたちの罪を担ったのではない、彼はわたしたちを贖うことができない、彼は死んで復活しなかったと言っていることです。このような異端は今日で言う「新神学」(Modernism)、反キリスト「不信派」の信仰です。これらは極めて邪悪な罪です。キリストの教えの中にとどまらない者は、神を持っていません。
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